創立の言葉

日隅一雄・情報流通促進基金 設立の言葉

 

日隅一雄さんは、2012年6月12日、胆のう癌のため亡くなった弁護士・ジャーナリストです。享年49歳でした。

 

日隅さんは、5年間、産経新聞社で新聞記者として仕事をし、1998年、弁護士となりました。

 

記者経験を生かし、「NHK番組改変事件」や「沖縄密約情報公開訴訟」などの表現の自由をめぐる裁判に心血を注ぐ一方、報道被害の救済、情報公開の推進と内部告発者の保護などの活動に力を尽くしました。

 

日隅さんは、「新聞記者を辞めた」=「ヤメ蚊(ブン)」弁護士と名乗り、「情報流通促進計画」と題するブログを開設して自ら情報の公開や発信に取り組みました。弁護士の仲間と設立したインターネットメディア「News for the People Japan(NPJ)」では編集長として活動しました。

 

日隅さんは、また、この国のマスメディアにおける構造的欠陥であるクロスオーナーシップ制や公権力によるメディアへの介入、審議会委員の選任方法における問題点を調査、研究した著書を刊行しています。

 

2011年3月、東京電力福島第一原子力発電所の事故直後からNPJ記者として自ら記者会見場に通い、東京電力と政府の情報隠しと闘い、メルトダウンやSPEEDI隠し、放射能汚染水の海洋放出などの情報を粘り強く追求しました。日隅さんの記者会見場における活躍は、インターネット中継などを通じて日本中で視聴され、多くの人から熱い共感がよせられています。

 

このような活動の最中、日隅さんは体調の不調をうったえ、検査の結果、2011年5月、末期胆のう癌で余命6カ月の告知を受けました。

 

しかし、日隅さんは、数週間の入院治療ののち、再び病をおして記者会見に出席し続け、その回数は110回に及びました。加えて、主権者である市民が、自ら判断するために公的情報の公開とその流通が必要だという強い信念のもと、癌の激痛をおして体験と思索をいくつもの著書にまとめ、「市民が主人公になる社会」の実現を強く訴え、子どもたちに「主人公となる幸せ」を託しました。自ら企画したNPJ主催の連続対談を6回やりとおし、他界七日前の福島県須賀川市での講演や他界二日前の武蔵野市での講演など多数の講師活動にも献身しました。前日まで執筆、メールなどに尽力しましたが余命の告知から約1年にあたる2012年6月12日逝去しました。

 

「日隅一雄・情報流通促進基金」は、「市民が主人公になる社会」のため日々発信を続けながら亡くなった日隅さんの願いを継承し、さらにそれを発展させることを目的として日隅さんの友人、仲間たちによって設立されました。

 

基金は生前の日隅さんの著作や活動を広めます。また表現の自由と知る権利が保障され、市民が主人公になる社会の実現をめざして活動を行います。この考えを分かち合い、皆さまの力で、この「日隅一雄・情報流通促進基金」を発展させていただきますようお願いいたします。

 

闇に光をもたらし、希望のために闘い続けた日隅一雄さんの精神を語り継ぐために。

 

2012年12月12日

 

日隅一雄・情報流通促進基金

 

【代表理事】
海渡雄一(弁護士)

桂敬一(ジャーナリスト)

 

【理事】

梓澤和幸(NPJ代表)

宇都宮健児(日弁連前会長)

木野龍逸(ジャーナリスト)

白石草(OurPlanet-TV)

田中早苗(弁護士)

西野瑠美子(NHK番組改変訴訟原告団)

(五十音順)